フジファブリック【破顔】歌詞の意味を考える。
フジファブリック のメジャーデビュー15周年にあたる2019年の1月にアルバム「F」がリリースされました。このアルバムはフジファブリック 通算10枚目となる節目のアルバムであり、メンバーのみなさんも「最高傑作」と豪語しています。
出典:fujifabric
そんな記念すべきアルバム「F」の中で、ひときわ話題になっているのが、この「破顔」という曲です。
この「破顔」という名前を初めて聞いた時、その字面からシリアスな曲なのかなと思いました。
だがしかし! 曲を聞き終わった瞬間、シリアスとは全く別の、温かく優しい気持ちで心が満たされました。実はこの「破顔」という言葉には、「顔をほころばせて笑うこと」という意味があるそうです。
ボーカル&ギターの山内さんの素直で、強くて、優しい人柄が本当に表れている一曲です。
出典:OKmusic
まず「破顔」の歌詞の意味を考えていく上で、忘れてはいけないのが、この楽曲が2019年に発表されているということです。
2019年は現在のメンバー(山内さん、金澤さん、加藤さん)で活動し始めて10年目に当たる年です。それは同時に、それまでフロントマンを務めてきた志村正彦さんとの別れから10年目となることを意味しています。
この「破顔」の歌詞を考える上で、志村正彦さんは欠かすことのできない存在だと思います。
それでは、これから「破顔」の歌詞の意味を考えてみたいと思います。
枯葉のリズム 終わりの季節 僕の手を引いてた
白い吐息は消えかけていた未来
「枯葉」「終わりの季節」「白い吐息」から、冬の薄暗い景色が想像できます。志村正彦さんとの別れは2009年12月でした。当時はメジャーデビューから5年が過ぎ、それからの「未来」に向けてバンドとして醸成されつつあった頃だったと思います。
そうした中で突然起こった、大切な人がいなくなるという避けられない現実。まさに「未来」が消えかけていたのではないでしょうか。
遥かな空に霞む星たち 今日も揺らしている
微かな印 でも奇跡と呼んでいたい
繰り返しでも振り出しでもいい 無邪気に見せて
「星」は亡くなった人の暗喩として使われることが多いかと思います。ここでは、亡くなった人との思い出であったり約束であったりするのかなと思います。
時間的・空間的に数えきれない人々が存在するこの世界で、その人と同じ時間・空間を過ごせたことは「奇跡」としか言えないですよね。
「繰り返しでも振り出しでもいい 無邪気に見せて」という一文からは、そうした思い出や約束が心の中から消えないでほしいという願いが読み取れます。
会いたい人に会えたかな なりたい人になれたかな
2014年はフジファブリック のデビュー10周年、そして現在のメンバーが再始動して5年となる節目の年でした。この年の11月29日にフジファブリック は武道館で10周年記念ライブを開催し、その中で「はじまりのうた」という楽曲を披露しました。この曲では、「君」(志村正彦さん)との別れを乗り越え、3人になっても志村正彦さんと目指していたものに向かって、ファンと共に進んでいくというメンバーの決意が表現されています。曲の最後は「その時はまた会いにいけるから」という一文で締めくくられています。この部分から、作詞をした山内さんは志村正彦さんに対して「会いにいく」という表現を使って決意表明をしていることが分かります。
前置きが長くなりましたが、上の歌詞に注目すると「会いたい人に会えたかな」という部分では、武道館での決意表明から5年が経過した今、志村正彦さんと共に目指したものに到達できているのか、志村正彦さんとの約束は果たせられているのか、と山内さんが自らに問いかけているのではないかと思います。
君が君らしくいることで 僕が僕らしくいれたよ
ただ息をする今日という日が何より素晴らしいことさ
何もいらないさあ行こう 心配なんか何もない
何もない さあ行こう
この部分からは、人間の生命や存在そのものを肯定する山内さんの強い思いが表れていると思います。大切な「君」の存在や、生きているという事実は当たり前のものではなく、本当は何よりも価値があるということを改めて感じさせられました。
微笑みが何気ないふりで繋いでた 二人を繋いでた
ここで曲名が「破顔」である理由が明らかになったかと思います。「僕」と「君」を繋いでいたもの、それが「微笑み」だったようです。考えてみると、「微笑み」をしている時って顔をほころばせつつも、しっかりと相手の目を見てアイコンタクトをとっていることが多い気がします。お互いに信頼して通じ合っている相手だからこそ生まれるものなのかもしれません。
だんだん登る朝日のよう 重ねた歌も真新しい
僕が僕らしくいることで少しは優しくできたかな
「朝日」は毎日上る同じものですが、昨日のものとは違う新しいもののように感じることがあるかと思います。山内さんは「朝日」に例えることで、3人になった後のフジファブリックが一曲一曲新しいことに挑戦し続けてきたことを自負しているのだと思います。
先ほどのサビでは「君」が「僕」に恩恵を与えてくれていたことが歌われていましたが、今回はベクトルの始点が「僕」に変わっていて、自分が周りの人々に恩恵を与えられただろうかと問いかけているように感じます。山内さんの葛藤が垣間見れる部分であると思います。
ただ息をする今日という日が何より素晴らしいことさ
闇を切り裂け さあ鳴らそう 遮るものは何もない
何もない さあ行こう
ここで再び 「ただ息をする今日という日が何より素晴らしいことさ」の一文が来ます。この一文は、先ほどのサビでは大切な「君」を失ったことを踏まえて歌われていたと思います。一方で、この部分では「僕」自身が生きていることで周りの人々に恩恵を与えられる機会を持っているということを踏まえて歌われていると思います。
これからも新しいものを作り続け、それを人々に伝え続けていきたいというフジファブリックの決意が示されていると思います。